岡嶋二人の傑作「チョコレートゲーム」感想&ネタバレ

久々の岡嶋二人!

作者について

岡嶋 二人(おかじま ふたり):井上夢人と徳山諄一のコンビのペンネーム
生まれ:井上夢人→1950年福岡県、徳山純一→1943年

<主な作品>
焦茶色のパステル(講談社、1982):第28回江戸川乱歩賞受賞
99%の誘拐(徳間書店、1988):第10回吉川英治文学新人賞受賞
クラインの壺(新潮社、1989)

作品について

チョコレートゲーム

発行:講談社文庫、1988年(1985年講談社ノベルズとして発行された作品の文庫版)
ジャンル:小説
メモ:第39回日本推理作家協会賞長編賞受賞。息子の無実を証明すべく真実に立ち向かう、父親の孤独な闘いを描いた切なすぎる物語。

あらすじ

小説家の近内泰洋は、妻の嘉子から、中3の息子・省吾のことで相談を受ける。なんと無断欠席や早退を繰り返しており、家でも部屋にこもりっきりだという。話を聞こうと省吾の部屋に行くが、子育てに無頓着だった近内は徹底的に拒まれてしまう。さらに、近内は息子の体に無数のアザがあるのを見て大きなショックを受けるが、省吾はそのまま家を飛び出し帰ってこなかった。翌日帰宅した省吾の異変に気付き、近内と嘉子が部屋に向かうと、省吾は部屋でノートを燃やそうとしていた。省吾は再び部屋にこもってしまい、途方に暮れる近内。リビングでふと手にした新聞には、省吾の同級生・貫井が激しい暴行を受けて殺されたという記事が載っていた―

“基本の美しさ”を教えてくれる、切なすぎる親子の物語

いやー切ない!切ないよ!すっごく切ない!

そして、本当に良質なミステリー小説ですねぇ。いやはや、大満足でした。

やっぱり良いミステリーってのは、無駄がないですよね。すべてが必然だし、ちゃんと登場人物が生きてる感じがするんだよなぁ。

歴史的駄作「月光」のダメージが大きかったおかげで(笑)、逆に、本作「チョコレートゲーム」の“基本の美しさ”を堪能することができました。誉田さん、反面教師ありがとうございます…

ほんとに、「チョコレートゲーム」は設定に無駄がない。

登場人物のキャラクターはもちろん、近内の職業から省吾の年齢、中学校が私立であることまで、全部がこの物語と無関係ではない。そして、読者を惑わすための要素にすら、この必然的な設定から外れるご都合主義要素は一切ない。

物語にとって必然の設定があり、その必然の設定から外れることなく、全てのエピソードが展開していく。

これは基本なんだろうけど、これを完璧に達成している物語は少ないと思う。特に謎に絡む部分では、「え、その設定どこから来たの?」とか「この行動は唐突すぎるんじゃないか」とか、必然の設定を逸脱する要素=ご都合主義要素が加えられることが多い。ひどい場合は、それを“新事実”として、謎の答えにしている作品もある。

こんなことされたら、読者はどっちらけである。初期設定から逸脱した時点で、せっかく入り込んでた物語の世界が崩壊するわけだから。ご都合主義はほんとに罪深いことなんですよ!

…と、「月光」に対する憤りが再燃してしまいました。すみません(笑)

打って変わって本作「チョコレートゲーム」ですが、近内に味方が現れるシーンは必見!美しい~とため息が出ること間違いなしです。

近内に同情しながらもそろそろ展開が欲しい…というベストタイミングで、ごく自然に近内の味方が現れる。そして、近内がその味方に「俺の推理を聞いてくれ」と話しかける形で、読者に対してもこの事件を整理してくれるわけです!さらにさらに、この味方が伏線回収に一役買い、謎の解明が動き出す…という、本当に美しい展開に脱帽ですわ~。こういうことなんですよ!

読者をどっちらけさせる要素として、ご都合主義の他に「説明」がありますが、それも登場人物の行動や会話の中で全て済ませるというスマートさ。

いやはやお陰様で、最後まで興ざめすることなく、この物語に没頭することができました。ありがとうございます!

<以後ネタバレあり>

この事件は、中学3年生という「大人と子どもの狭間」だからこそ起こったものだと思う。

正直、大人からすると「その程度の額で死ぬなよ」っていうレベルの額だし、仲間内でやっていただけなんだから、貫井が稼ぎをみんなに返して終わりにすればよかっただけの話だ。だけどやっぱり中学生だから、お金の魅力と恐怖に簡単に飲み込まれてしまったんだと思う。

この視野の狭さと臆病さは子ども特有のものだし、高校生なら「チョコレートを賭けるゲームから発展した」という幼稚さはマッチしないことを考えると、中学3年生という設定は絶妙だなぁと感心しました。

それにしても、近内と省吾は、生きてるうちには一度も分かり合うことがなかったんですよね。

これが本当に切ない…やりきれない…。「あのトランクの中に省吾がいたんだ」って気付くシーンは、胸をえぐるような苦しさがありました。

近内と省吾だけでなく、喜多川親子も坂部親子も、この物語に出てくる親子はどれも分かり合ってはいない。

15歳の頃を思い返せば、「大人は自分のことを分かってくれない」と考えたり、秘密を持ったりしている時期だった。それなのにどうして、自分が親の立場になった途端に、親子は分かり合えていると安心してしまうんだろう。「子どもの秘密」という普遍的なテーマなので、33年も前の小説のわりに陳腐化していない重さがあった。

この小説が発表された1985年と比べると、今は「秘密の隠し場所」が格段に増えている。そういえばこの前見た映画「サーチ」も、ネットに隠された子どもの秘密をめぐる話だったなぁと、子どもの秘密の侮れなさを感じた。

わたしは今は子どもいないけど、甥っ子や姪っ子が大きくなったときに、近内やデビッドみたいなことにならないように気を付けないとなぁ…^^;

まとめ

近内の心情を思うと切なすぎて、普段あまり感情移入しないわたしでも「つらい~」と唸ってしまいました。よくできたミステリーだとこんなにストーリーに没頭できるんだなぁと、久々の大大満足感。
「良いミステリーって何ぞ?」というミステリー初心者の方はもちろん、変なミステリーもどきを読んでゲッソリ気味の方にもオススメ(笑)

息子のために闘う父親の孤軍奮闘を、上質なミステリーで楽しめる一作です。ぜひご一読を!

コメント

タイトルとURLをコピーしました